

| 大学男子メンバー表 | 大学女子メンバー表 | |||||||||
| 部長 | 新田 敏 | 法学部教授 | 部長 | 新田 敏 | 法学部教授 | |||||
| 総監督 | 武山栄雄 | S11年卒 | 総監督 | 武山栄雄 | S11年卒 | |||||
| 監督 | 内海 淳 | S30年卒 | 監督 | 立花雅男 | S37年卒 | |||||
| コーチ | 畑 龍雄 | コーチ | 佐々木三男 | |||||||
| 主務 | 早稲本宏 | 商4 | 慶應義塾 | Aコーチ | 村林祐子 | S56年卒 | ||||
| 副務 | 松尾嘉朗 | 政治3 | 鹿児島ラ・サール | 主務 | 池田めぐみ | 文4 | 慶應女子 | |||
| 4 | 長谷川潤 | 法律4 | 189 | 安積 | 4 | 岡部良子 | 文4 | 159 | 九段 | |
| 5 | 廣松英樹 | 政治4 | 190 | 土佐 | 5 | 森みどり | 政治4 | 158 | 横浜緑ヶ丘 | |
| 6 | 湯沢正樹 | 政治4 | 181 | 飯田 | 6 | 汐崎順子 | 文2 | 158 | 湘南 | |
| 7 | 内田好治 | 工4 | 180 | 小田原 | 7 | 柴田美貴 | 文3 | 166 | 田園調布雙葉 | |
| 8 | 加瀬 正 | 経済4 | 168 | 慶應義塾 | 8 | 刈田みゆき | 文3 | 160 | 慶應女子 | |
| 9 | 舟越幹洋 | 政治4 | 170 | 松江北 | 9 | 中谷雅子 | 文3 | 158 | 西 | |
| 10 | 伊藤 誠 | 政治3 | 180 | 安房 | 10 | 佐藤尋栄 | 政治2 | 158 | 横浜翠嵐 | |
| 11 | 野里周司 | 政治3 | 179 | 武蔵丘 | 11 | 河原たか子 | 法律2 | 155 | 慶應女子 | |
| 12 | 佐藤直樹 | 政治2 | 185 | 浜松西 | 12 | 成瀬まゆみ | 文2 | 165 | 白鴎 | |
| 13 | 有明厚典 | 法律2 | 177 | 慶應義塾 | 13 | 野口由記子 | 政治1 | 163 | 雙葉 | |
| 14 | 野間和昭 | 政2 | 173 | 慶應義塾 | 14 | 宮田百合子 | 文1 | 155 | 戸山 | |
| 15 | 今村忠人 | 工2 | 174 | 原町 | 15 | 徳弘奈美 | 法律1 | 161 | 筑波大付 | |
| 16 | 浅井亮一 | 政治2 | 171 | 呉三津田 | ||||||
| 17 | 淵 通孝 | 経済1 | 175 | 武蔵 | ||||||
早稲田大学----大正9年に成城中学でバスケットボールを経験した故浅野延秋前早大RDR倶楽部(バスケットボール部OB会の名誉)会長が早大第一高等学院に入学し、陸上競技部に籍を置くかたわら有志をつのってバスケットボールの同好チームをつくったことがチーム結成の礎となった。
大正10年に中山克己(RDR会長)が第一高等学院に入学してから建築科チームをつくり、更にその翌年には富田毅郎(RDR副会長)が機械科チームをつくりお互いに対抗試合を行っていた。
そして大正12年5月にそれ迄の活動が認められ、早稲田大学バスケットボール部として正式に体育会に承認された。来年はちょうど創部60周年を迎える。
慶應義塾大学----大正13年に塾のバスケットボール愛好者の手によって組織された「慶應義塾籠球倶楽部」がその前身とされている。その後昭和3年に学生籠球連合に加盟し、次いで昭和6年には体育会への加入が認められた。今年で創部51年を迎えた。
慶應義塾大学バスケットボール部50年史は昭和55年春に発刊されましたが、つづいて早稲田大学もバスケットボール部60年史 「RDR60」を近く発刊する予定です。我国で最も伝統のある早稲田大学バスケットボール部の軌跡のすべてがこの一冊の本に記されております。
(内容の一部紹介)
−以下略